カテゴリ:2013年9月


24日 9月 2013
開会の挨拶をする首藤傳明先生
9月15日~16日、別府亀の井ホテルにて「第28回弦躋塾セミナー」が開催されました。今年は東洋はり医学会会長の中田光亮先生を特別講師としてお招きし、2日間にわたって講義と実技をご指導していただきました。また、初日のセミナー後には、『首藤傳明症例集ー鍼灸臨床50年の物語』(医道の日本社)の出版を記念して、「首藤傳明先生出版祝賀会」が開催されました。セミナー全体の印象や感想は『月刊医道の日本誌』のほうに書いたので(12月号に掲載予定)、こちらでは視点の角度を変えてレポートしたいと思います。 中田光亮先生 中田先生は19歳のときに福島弘道氏に弟子入りして以来、経絡治療一筋で歩んできた人である。44年のキャリアの中で培われた技術や人間的な魅力が、その姿ににじみ出ている。「九州弁しか話せない田舎者ですからね、(修行時代は)周りから馬鹿にされないよう、もう死ぬ気で頑張りました」と先生は言う。中田先生の手技については後でレポートするが、先に先生の人柄について少し述べます。 10年ぐらい前、首藤先生が東洋はり医学会で講演をされたときのこと。当時首藤先生は伝統鍼灸学会の会長をしていて多忙を極めていた。日々の臨床(毎日40人以上)をしながら、月に2回は大分から上京し、講演や理事会などをこなしていた。その日は体調を崩して声の調子が悪かったうえに、「講義のみ」の依頼で、実技はなかった。会場に向かうタクシーの中でも先生は一言も話さず、私は不安になって胸がドキドキ鳴り出したのを覚えている。鍼灸学校や鍼灸師会などで講演するのとは違い、団体に呼ばれて話をするときは独特のアウェー感が漂っていることがある。各団体によって治療理論や手技が異なるのだから仕方が無いのかもしれない。それでも、いったん実技が始まれば、首藤先生の手技に魅せられてベッドの周りに人が集まるという光景を何度も見てきた。しかし、この日は実技はできない。首藤先生はかすれた声で必死に話し始めたが、いつもの名調子のようには行かず、会場は静まりかえっていた。ところが、前のほうに座っていた中田先生は、首藤先生の話しに大きく頷き、ユーモアには声を出して笑い、場の雰囲気を盛り上げてくれたのである。気の調整をする先生方が集まっている会だけあり、良い気が会場に広まっていくのが初心者の私にも感じられたし、東洋はり医学会が国内のみならず、広く海外の鍼灸師に受け入れられている理由がわかった気がした。このときの様子は『医道の日本誌』の連載(2012年12月号)にも書いた。以来、私は中田先生を尊敬している。 今回、東洋はり医学会の会長として中田先生が弦躋塾セミナーで講演されることになり、私はこの日が来るのを心待ちにしていた。首藤先生から「イケメンの先生です」と紹介されると、すかさず「私なんかツケメンみたいなもんで」と返したように、中田先生は講義中もダジャレを連発させていた。まじめな話ばかりでは窮屈になるが、大切な話をしている中でダジャレを飛ばすので、適度な緊張感とリラックスを保つことができ、あっという間に講義時間が過ぎた。その治療と同じく、中田先生は陰陽の調整をしながら話を進めていたのかもしれない。また、本題とダジャレが組み合わさることにより、聴講者がキーワードとして記憶しやすいという利点もあったと思う。何よりも九州弁を使って講義されたことが印象深かった。 東洋はり医学会は海外に14支部があり、中田先生は海外で指導されることも多い。肉ばかり食べている西洋人は内熱外寒して過敏(気の動きが速い)人が多く、特にアメリカ人は過食過飲のために腎虚脾実で逆気しており、肥満して赤ら顔で、腹や手足が冷たく、感情が激しいという。腎虚で復溜に刺そうと鍼を近づけただけで「Oh!」と声を出すので、どうした?と聞くと、「気が来た」と訴えるほど過敏になっている。また、証を間違えた場合、日本人だと頭痛や気分が悪くなったと言う程度だが、アメリカ人は泣き出したり、わめいたりする人もいるという。そういえば、2010年に首藤先生がドイツで講演をした最終日、参加者に頼まれて私も3~4人に鍼をしていたら、ある西洋人女性からいきなり「I Feel Qi!」とか叫ばれてびっくりしたことがあった。中田先生によると、アメリカ人に続き、イギリス人、ドイツ人は過敏で、オランダやスペインの人は魚を食べるからか、意外と体質が日本人と似ているそうである。 そして、「経絡治療はその人の本質である体質を改善ことができ、原因がわからなくても、診断がつかなくても、証を立てれば治療ができる」ことや、「誤治しなければ、必ず良い方向に治る」ことを説明され、「どんな体質の人であっても六部定位で脈を診て、どの経が虚しており、どの経が実しているかを見つけて鍼をすればいい。浅い鍼は世界を制す」と力説された。